風吹く丘に<3>
「ギルバート!」
息を吐いたギルバートの背後で、聞き慣れた恋人の声が上がった。
悲鳴に近い、高い、声。
振り向いた彼の目に、駆け寄って来るアンナが映る。又、その後ろで弓を構えるパロン兵の姿も。
驚きに目を見開いたギルバートの前で、アンナはくるりと後ろを振り返った。恋人に背を向けたまま、両手を広げて仁王立ちになる。
ハッと身を乗り出した時には、遅かった。
「やめろーッ!!」
ギルバートの叫びと同時に、矢が放たれて。
呆然とした彼の目に、ゆっくりと床に崩れ落ちるアンナの姿が映る。その胸に突き立つのは、一本の矢。
「アンナぁ!」
尚も自分に向かって弓を構えようとするバロン兵の頭に、ギルバートは手にしていた竪琴を渾身の力を込めて投げつけた。
本来の用途とは全く異なる使われ方をした竪琴が、抗議するように嫌な音を立て、失神したバロン兵と共に床に落ちる。
それを最後まで見届けることなく、ギルバートは床に倒れた恋人の背をそっと抱き起こした。
細い身体に突き立った矢を早く抜いてやりたかったが、それは逆に血を失う結果になりかねない。
もどかしく思いながら、アンナの左手を自分の右手で包み込んで、ギルバートは囁いた。
「アンナ! しっかり……、しっかりするんだ!」
「ギ、ギルバー、ト……。良かった……っ怪我、してないわね……?」
青ざめた顔で、それでもにっこりと微笑んで見せて、アンナは襟元に手をやった。その震える拳をギルバートの前に差し出し、ゆっくりと開く。
掌に載せられていたのは、黄金の指輪だった。
ダムシアン王家の紋章が彫られた、ダムシアン国王の証となる――いつも、父王が肌身離さず身に着けていた、指輪……。
意味するところを察して絶句したギルバートを前に、アンナが辛そうに告げる。
「……これは、お義父様からお預かりした物よ……。貴方に……位を譲られると……」
ギルバートは震える指で、指輪を摘み上げた。綺麗に拭き取られているが、微かに血の匂いがする。
「まさか……」
「御崩御、されたわ……。バロンの……『赤い翼』の兵士たちが、露台(バルコニー)から乗り込んで来て……。黒い、甲冑……ゴルベーザという男に……っ。私、には……どうすることも出来なかった……。折角隠したクリスタルも、結局奪われてしまった……」
忌まわしい記憶に苦しむように、そして痛みに耐えるように、瞑目して。一度大きく呼吸したアンナの目元から、はらはらと涙が零れる。
父の元を家出同然で飛び出して来た彼女は、ギルバートの父である王に、自らの父の姿を重ねることが多々あった。王自身も気さくな人柄であったから、息子の連れてきた婚約者を娘同然に可愛がり――むしろ、些か頼りない息子を支える彼女こそを気にかけている程だった。
そんな王が、死んだのだ。
安否を危惧していた父の訃報に、ギルバートも必死に涙を堪える。
「そう、か。父上が……。……そう言えば、玉座の間にはエリクサーがいくつかあったハズだ。取ってくるよ」
立ち上がった彼を、か細い声が呼び止める。
「……ダメ……。階段は、もう崩れて……」
「大丈夫、抜け穴があるから。待ってて」
安心させるように手を握って。微笑みを残し、ギルバートが駆け出す。
しなやかな手が、その後ろ姿が離れ行くのを見送って、アンナは目を瞑った。
「傍に、いて欲しいの……。ギルバート……」
自分の命の炎が大きく揺らぐのを、彼女は感じとっていた。
「!! ここもダメか……」
ダムシアン城には、二つの抜け道があった。緊急時の脱出用として、又、召使の近道として用意されていたものだ。
だが、天井が崩れて道は塞がれ、それらはもう機能していない。
「どうしたら、良いんだ……!」
アンナの傷は、重傷だ。それも、命に関わる程の。
治癒の能力を持たない彼にとって、玉座の間に用意されていたエリクサーは最後の希望とも思えていた。それを手にいれることが出来ず、ギルバートは苛立たしげに首を振った。
「あ……」
ふと、思い当たるものがあった。
アンナが倒れたホールの両脇の小部屋に、体力と魔力を回復する水が沸く不思議な壷がひとつずつ置かれている。――それでアンナの傷を癒すことは出来ないだろうか?
ぐずぐずしている暇はなかった。
ギルバートは崩れかけた階段を駆け下り、体力を回復させる壷のある部屋へと向かった。
否、向かおうと、ホールを通り抜けようとした時だった。
「アンナーッ!」
どこか聞き覚えのある老人の声。
ギルバートの目に、倒れたままのアンナの身体に縋る老人の姿が映る。
それはアンナの父、テラだった。
カイポの村でアンナと出会った頃は、いつも渋い顔でギルバートのことを見ていた。最愛の娘を攫った『得体の知れない吟遊詩人』に対し、それは当然のことだろう。
ふと、気配を感じたのか、顔を上げたテラが振り返った。立ち尽くすギルバートの姿を目にするや否や、恐ろしい程の形相で睨み付ける。
「貴様……ッ、あの時の吟遊詩人! 貴様のせいでアンナは……!」
ぶるぶると拳を震わせたかと思うと、木の杖を振りかざしてギルバートに殴りかかってきた。
「!」
ギルバートは突然のことに驚きながらも、老いのせいか威力のないその攻撃をなんとかかわす。
「貴様、よくも娘を……!」
「待……っ! 話を聞いて下さい!!」
一刻も早く回復の水を取りに行きたいギルバートが、説得しようと声を上げる。けれど、興奮した老人の耳には届かない。
疲れなど忘れたかのように幾度も振るわれる杖をなんとか凌ぎながら、ギルバートは内心の焦りの代わりに唇を噛み締める。
「やめて! お願い……!!」
アンナの、必死の叫びが辺りに響いた。
空気がシンと静まり、今にもギルバートに打ち下ろされようとしていた杖の動きが止まる。
「アンナ!」
テラがアンナに駆け寄る。ギルバートも老人と向かい合う形に、アンナの傍らに膝を付いた。
その時になって初めて、テラ以外にも人がいることに気付いた。
漆黒の鎧を着けた青年と、緑色の髪の少女。どんな関係であるのかが全く読めない取り合わせだ。
「お父さん……、彼……ギルバートは……このダムシアンの王子……。身分を隠すために、吟遊詩人としてカイポに来たの……」
苦しい息を継いで、アンナが父に語りかける。
「……ごめんなさい、お父さん。勝手に飛び出したりして……。でもね……私、ギルバートを愛しているの……。だから……、大好きなお父さんに認めてもらいたくて……村に帰ろうと思っていたんだけど……。ごめんね……」
テラは無言で娘の手を握ってやって、安心させるように何度も頷いて見せた。
ブルブルと震える手は、流れ出る血と共に体温を失っていく娘が感じる寒さ故か。それとも、既に戻しようのない娘の死相に対する、父の絶望か。
アンナは父親ににこっと笑いかけてから、恋人に目を向けた。――もう、首を動かすだけの力もないのだ。
察したギルバートは、自分からその顔をアンナに近付けた。
「ギルバート……」
恐らく最後になるであろう愛しい人の顔を見つめて、アンナが囁く。
「ごめんなさい……、貴方を、一人で置いて行く私を許……し、て……。……ずぅっと。愛……しているわ、ギルバート……」
彼女が最期に見せたのは、淡く儚い――それでも幸せそうな微笑み、だった。
<続>
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否、多分、バルコニーにゴル兄さんが降り立った時点で王様が逃がしてくれて、砲撃で道が崩れたお陰で追撃も受けなかった……ってことだと思うんですけど(って、自分で書いてて『思う』って何)。
……あれ、それだと崩御したって言い切れるのは何故って話か。
……………。
そのうち機会があれば、番外としてでも書けたら良いですね(自分の首絞めたな)。
それにしても……。
アンナさん、意外と体力ありますね……(全てを台無しにする一言……!)。
(修正//2007.07.20UP)
(初出//2000.09.09UP)