風吹く丘に<4>

 ――アンナは、死んだ。
 僕のせいで。
 僕が受けるはずだった、矢を受けて。
 僕が死なせた……。
 僕が……アンナを……殺したんだ……――

『そうだ。お前が、アンナを殺した!……お前が!!』

 アンナの父、テラが『自分』を詰る声。何度も何度も頭の中でリフレインする。

『お前がアンナを……!……お前さえいなければ……っ!』



「……しっかり! しっかりなさって下さい!!……ギルバート殿下!」
「う、うぅ……ん……」
 低く呻いて、ギルバートは重い瞼を押し上げた。
 目を光に慣らすため、何度か瞬きを繰り返す。
 視力が戻った彼の視界に、見慣れない天井と、心配そうに彼の顔を覗き込む男女の姿が映し出された。
「こ、ここは? それに……貴女たちは一体?」
 掠れた声で尋ねるギルバートの右手を女性が取り、脈を計る。満足したようにひとつ頷いて手を離してから、彼女は目の前の患者に向き直った。
「ここはトロイア城。私は医者のレイナと申します。こちらは助手のビィン……、ふふ、医者が女で助手が男なんて可笑しいと思われるでしょう? でもトロイアでは普通のことなんですよ」
「せ、先生……」
 やや弱気な様子でレイナの袖を引いて、ビィンが止める。目覚めたばかりのギルバートが、息継ぎもそこそこに話す彼女の様子に驚くと思ったのだ。
「え? あ、あぁ。あら、やだわ、私ったら」
 我に返ったレイナは恥ずかしそうに笑った。真顔に戻り、慎重に言葉を紡ぐ。
「……失礼ですが、ダムシアン王国王太子……ギルバート=クリス=フォン=ミューア殿下、であらせられますわね?」
「……どうして……僕の名を……?」
 未だ曖昧な意識の中で、どこかで聞いたようなセリフだな、と思った。
「指輪に彫られていた紋章で、ダムシアン王家の方だと解ったのです。それに、城の者で以前、殿下のお姿を拝見したことがある者もおりましたので……」
 そうビィンが答え、ギルバートの額に載ったタオルを冷たいものと取り替えた。
「どこかで海に落ちたのですか? 海辺の小さな村で……、長い間海にいたせいだと思いますが、随分と身体が冷えて瀕死の状態で倒れているのを発見されたのですよ? 元々の御身体もあまり丈夫なようではありませんし……。もう大丈夫とは思いますが、無理はなさらないで下さいね」
 とは、レイナの言葉。
 確かに、ギルバートは幼い頃から身体が弱く、熱を出して寝込むことも少なくなかった。その要因は肉体的というよりは精神的なものが多く、悪戯な従兄弟たちにはよく『軟弱王子』とからかわれたものだった。
 返す言葉もなく、ギルバートは無言で目を閉じた。

 それにしても何故、海に落ちたのだろう――?
 頭の中に靄がかかったように、意識を失う前の出来事をハッキリと思い出すことが出来ない。
 ふと、頬に柔らかな手の感触を感じて、彼は目を開けた。
「まだ熱は下がっていないようですね……。ビィン、薬を」
「はい、先生」
 レイナの指示を受けて、ビィンが大きな黒皮の鞄から一包みの粉薬を取り出した。
 冷たい水を注いだコップにその薬を入れ、硝子棒で掻き混ぜると直ぐにすぅっと解けた。それに赤い液体を少しだけ足して、レイナに手渡す。
「フェルナの果汁入りの睡眠薬です。まずは熱を引かせて、体力を回復させなくてはいけません。これを飲んで良くお休みになられて下さい」
 フェルナは大陸のあらゆるところで見られる樹木で、春に橙色の花を咲かせ、夏の終わりには子供の拳大の真っ赤な実をつける。その実は発汗を促す解熱作用があるとされ、風邪などの薬として重宝されていた。
 レイナが冷たいタオルでギルバートの額や頬、首筋を流れる汗を拭いつつ、
「実は……、これから街へ往診に行かなくてはならないのですが……」
 言い差して、口篭る。
 その言葉の続きを理解して、ギルバートは頷いた。
「どうぞ、行ってきて下さい。私のことなら大丈夫ですから」
「申し訳ありません、殿下。……詳しいことはお話し出来ないのですが、恥ずかしながらこのトロイアも少し揉めておりまして……、人手をあまり割けないのです」
 レイナの目は心配そうだ。
 深い海を思わせる、紺色の瞳。それは、随分と前に亡くなったギルバートの母とどこか似ていた。
 病弱な自分をいつも優しく看病してくれた母を思い出して、泣きたいような気分になる。
 ビィンが聴診器などを鞄に詰め、ギルバートに一礼すると部屋から出て行った。
「本当におひとりで大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ。……こうやって、おとなしく寝ていますから」
 レイナの問いに、ギルバートは微笑って見せた。いつもは白い頬が、熱のために紅潮している。
 レイナはもう一度ギルバートの額のタオルを替えると、二時間で戻る、と言い置いて出て行った。
 熱のせいだろうか、いつもより感傷的になっているようだ。
 彼女の後ろ姿がまた、寝込んでいる彼の傍を公務の為に離れなくてはならなくなった母の姿を、ギルバートに思い出させた。
 彼が十歳の時に流行り病でその母が亡くなってからは、父がその代わりとなった。一国の王でもあって多忙な父は、それでも幼い彼を淋しがらせないようにと様々に心を砕いてくれた。
 ――その父も、もういない。
 あのダムシアン城陥落の際に、命を落としてしまったのだから。
 ギルバートの右手にはその形見となった、ダムシアン王家の紋章入りの指輪が光っている。それは恋人のアンナが死の間際に手渡してくれたものだ。
 彼の愛した、そして彼を愛してくれた人々は皆、もうこの世にはいない……。

 ギルバートの閉じた目から、涙が零れ落ちる。
 そのまま、彼は暗い眠りの淵に沈んで行った。


<続>
医者や助手、薬、果てはギル母を始めとする王族まで捏造の限りを尽くしておりますが、皆様、ついてきてらっしゃいますか〜?
しつこいようですが、信じちゃダメですよ☆

体調が悪い時って、様々なことがいつもより不安に感じてしまったり、センチメンタルになってしまったりするものですよね。
少々自信の足りない人(=ギルバート(笑))なら、尚更じゃないかなぁ、と思うのです。
(修正//2009.01.05UP)
(初出//2001.05.21UP)

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