風吹く丘に<5>

『……お兄ちゃん、男でしょ!? 私だってお母さん死んじゃったんだから!』

 しっかりしなさい、と。
 その幼い声で、翡翠の瞳を涙で潤ませながらも、自分を叱咤してくれた少女。新緑の色の髪をした――あれは、リディア。
 若干7歳の彼女は、母を失った悲しみを胸に秘めたまま新しい生活を始め、セシル達と共に闘っていた。しなやかな精神で、強く生きていこうとしている。
 だが、ギルバートは未だ、父母や恋人を失った悲しみに捕われたままだ。
 それは精神(こころ)が『弱い』から。そして、『彼ら』の死を認めたくないから。


『ギルバート……! 自分を信じるのよ。……勇気を出して!』

 あの、カイポの夜。魔物に襲われた彼の前に現れたアンナの魂は、そう叫んだ。
 ――そうだ。『自分』には自信がない。『彼ら』を守ることすら出来なかった自分に、どう自信を持てというのだろう? それは到底、無理な話だ。


『ギルバート、私が死んでも悲しんではなりませんよ。私は『大いなる魂』とひとつとなって、いつでも貴方のことを見守っているのですから。……強く……強くおなりなさい、ギルバート……』

 病床の母が、その最期に遺した言葉。彼女の最後の願いは、未だ叶えられていない。
 ギルバートは『変わらなければ』ならない。
 人間(ひと)は、いつまでも失った存在を嘆いてばかりはいられないのだ。
 残された者たちは、更に生きていかなくてはならないのだから。



 ふわりと身体が浮くような感覚で、ギルバートは目を覚ました。
 ……が、彼を目を開けた時には、既に身体は元のベッドの上に横たわっていて。
 あれ? 夢だったかな――、と目を瞬かせた彼に、ビィンの声がかけられた。
「あ、起こしてしまいましたか? 申し訳ありません。……今、シーツや寝着を取り替えさせていただいたところなのですよ」
 その、取り替えた、というシーツをてきぱきと畳みつつ、にっこりと笑って見せる彼に、ギルバートも弱く笑い返した。
 つまりは、あの浮遊感は抱き上げられた、ということか。
 はっきり言って男としては情けないくらいに、か細い自分の身体を抱え上げることは、いとも簡単なことだったろう――。ギルバートは、幼い頃から肉付きの悪い自分の身体の弱さが情けなくあり、恥ずかしくもあった。
 セシルのように、或いはヤンのように闘うことが出来たなら、大切な人たちをも守れたのだろうか――?
 自分を変えたいと、強く思った。


 ギルバートの熱はあのフェルナの果汁のお陰か驚くほど良く下がり、頬の紅潮も引いた。その代わりに、今はその顔が白を通り越して青ざめてさえ見える。
 とりあえずの峠は越し、後は彼の体力の回復を待つだけなので、レイナとビィンはベッドから少し下がった所で待機している。
 再び眠りにつこうと、ギルバートは目を閉じた。と、タイミングを同じくして、ドアの開け放たれる音がして、数人の足音が部屋に入って来た。
「この部屋には病人が臥せっているんですよ!? もう少し静かにして下さい!」
 その足音の主たちを叱る、レイナの声。
「す、すみません……」
 そう謝る声は、セシルのものだ。
 その声で、唐突にトロイアに流れ着く前の出来事が思い出された。

 ゴルベーザに攫われたローザを助けるために乗り込んだ、バロン行きの船。
 けれど航路の半ばで、海の主とも呼ばれる幻獣リヴァイアサンに襲われ、自分たちは海に投げ出されたのだ。
 そのショックで、今の今まで一部の記憶が飛んでしまっていたらしい。

 セシルも無事で良かった、と思いながらも、失われた体力を補うために身体が眠りを欲しており、睡魔に抵抗することが困難だった。数人の気配がベッドを取り囲むのを感じたが、尚、瞼を上げることが出来ない。
「ギルバート……。あ、寝てる?」
 囁くセシルの声には、優しい響きがある。
 元バロン王国飛空挺団『赤い翼』隊長で暗黒騎士である彼は、いつも闇を固めたような漆黒の甲冑を身につけていた。暗黒騎士はそうして自分の心を封じ込め、闘いに生きるのだ、といつだったか彼が語ったことがある。だが、その割にはセシルはとても『人間的』であった。
「そっとしておいてやりましょう、セシル殿」
「しっかしまぁ、蒼白い顔をしおって……。此奴、本当に生きておるのか?」
 ヤンの声に重なった、ぶっきらぼうな、嗄れた声。
 ギルバートはハッと目を開き、その声の主のほうに藍色の瞳を向けた。
「おぉ、起きよったのか。すると、まだ生きていたと見える」
 それはアンナの父であり、『世界一の賢者』と呼ばれるテラ、その人であった。
 ギルバートは目の前に『彼』がいることが信じられなくて、思わずその名を呟いた。
「テラさん……」
「ふ、ふん。別にお主のことを心配していたワケではないわいっ! ただ、こんなに早くお主がくたばっては、アンナが浮かばれんと思っただけじゃ!!」
 そう言いながら、テラは不貞腐れたように横を向く。
「有り難うございます……テラさん……」
 ギルバートは改めて、ベッドを取り囲む面々を見回した。
 横を向いたままのテラ。心なしか涙目に見えるヤン。初対面の髭面の初老の男はバロンの飛空挺技師シド。そして……、ギルバートの視線が止まる。
「セシル、その姿は……? 見違えたよ」
 セシルは、別れる前まで風呂や眠る時以外には外したことのない暗黒騎士の鎧を脱ぎ捨て、それとは正反対の白い甲冑を身に着けていた。
「『試練の山』で、パラディンになるための試練を受けたんだ」
 魔法国家・ミシディアの東に聳える『試練の山』。そこには精霊が住み、試練を乗り越えた者に光の騎士『パラディン』の称号を与えるという伝説があった。
「そうか。見事に……勝ったんだね。とてもよく似合うよ……」
「有り難う」
 ゆっくりとセシルの唇に笑みが浮かぶ。顔を包む銀色の髪が、白い鎧と相まって光を帯びているように見えた。
 暗黒騎士などより、こちらのほうがセシルには似合っている。そう、ギルバートは心から思った。そして同時に、自身に相応しい途(みち)を選び取った彼を、羨ましくも感じたのだった。
 ――自分は『変わる』ことが出来るのだろうか?
 いつかは、自分を信じられる程の強い人間になれるのだろうか?
 考え出すとどうしようもなく不安になり、そんな自分が一層情けなく感じた。
「そう言えば……リディアは? 姿が見えないけれど……」
 暗くなるばかりの思考を打ち切って、ギルバートは声を上げた。その言葉に、今度はセシルやヤンの顔が曇る。
「あの時、海に落ちて……それきり行方が知れないんだ……」
「私が、あの時手を捕まえていれば……!」
 固く握り締めたヤンの拳に、ギルバートの白い手がそっと触れる。
「大丈夫……。きっと、彼女なら大丈夫ですよ。僕でさえ無事だったんですから」
 最後は冗談めかせて笑って見せる。
「そうじゃな、あの子の魔力は大したもんじゃった。軟弱なお主でさえ生きておるのだ。あの子が無事でないはずがない」
 ギルバートの言葉に頷いたのは意外な人物、テラであった。――まぁ、その言葉はあまりな言いようだったが。
 それでも皆の顔に笑顔が戻り、少し部屋の空気が和らいだ。
「ところで、どうしてトロイアへ……?」
 ギルバートの問いに、セシルが眉を寄せた。
 敵(ゴルベーザ)は攫われたローザの身柄をトロイアの土のクリスタルと引き換えにする、と言ってきているという。ギルバートは拳を震わせた。
「なんて卑怯な……」
「ですが、今、このトロイアにもクリスタルがないそうなのです。東の島の洞窟に住むダークエルフに奪われたとかで……」
「じゃから、これからそこに向かう予定なのじゃ」
「だーいじょーうぶ! このシド様がついておるのじゃからな、心配には及ばんよ」
「何を言う、あの洞窟は特殊な仕掛けがあるという噂ではないか。ワシの魔法がなければ、お主なぞ……」
「なんじゃとぉ〜!?」
「まあまあ、2人とも……」
 シリアスな顔をしていたヤンを押しやるようにして声を上げた老人2人が元気に口論を始めたのを、困った表情(かお)をしたセシルが宥める。思わず、ギルバートは吹き出した。そして、
「でも、ダークエルフは厄介と聞くよ。奴らの使う術は侮れない」
 そう呟いて身体を起こそうとする彼をヤンが支える。
 無理するな、と言いたげな周囲に、ギルバートは緩く首を振ることで応じた。
「ビィンさん、僕の道具袋はありますか?」
 突如として声をかけられたビィンは驚いたようだったが、すぐに棚から皮袋を取り出してくれた。ただしギルバートに手渡す際に、
「あまり無理をしないで下さいね」
 釘を差すのは忘れない。
 ギルバートは受け取った袋から、小さな包みを取り出した。
 丁寧に包んだ油紙を解くと、中からは不思議な色をした草が二本出てきた。
 ……そう、それは紛れもなく『草』だった。色は緑というよりは青、それも青玉(サファイア)のような深く硬質な光を宿した不思議な青だ。
「これは『ひそひ草』と言って、千里の先だろうと離れたところにいる者に声を届けてくれるそうだよ。ただし、互いが対になったものを持っていないと駄目らしいけれど」
 そう説明して、一本をセシルに渡す。
「これを……僕の代わりに持って行ってもらえないかい?」
 僕では役には立てないかも知れないけれど――という言葉は、言わずにおいた。何よりも、セシルが笑顔で受け取ってくれたから、それで良い。
「有り難う、ギルバート」
 その言葉だけで無力な自分の身が救われた気がした。


<続>
ひそひ草のビジュアルってどこかで見た気がするのですが、思い出せないのです(初代公式攻略本の基礎知識編とかですかね〜?)。
私の勝手なイメージだと、石で出来たゼンマイ(※山菜の一種です)なんですけど(笑)。
そんなこんなで、今回も捏造が絶好調です(爆)。

久し振りに会ったと思ったらセシルが白くなってて、ギルバートもビックリしたでしょうねぇ……。
というか、よく一発で彼だと分かったなぁ、と。
やっぱり決め手は声ですかね? ……暗黒騎士時はいつも甲冑姿だったから声が籠っていた気もするのですが(笑)、そこは吟遊詩人の鋭い聴覚でクリアということで。
ゲームだと宿屋でさえ鎧を外さない暗黒騎士も、実際はちゃんと脱いで寝ていたのでしょうね。……ですよね?
(修正//2009.01.05UP)
(初出//2002.01.08UP)

BACK / HOME / NEXT